イシスの息吹

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質感

あわただしく過ごす毎日が続くと、ただ目の前に見えてくる風景のみに視点がゆく。 そして、その世界だけが存在する世界と勘違いしてしまう。 まるでゲームをしている子どものような感じかもしれない。 

しかし、魂の望むものはそれだけではないことに気づく事がある。 ふと、時間が止まり 自分の周りに流れるエネルギーを感じる。 色々なものの質感が流れ込んでくる。 それは、風の香だったり、 差し込んでくる日の光に踊るホコリだったり、 自分の指紋の渦の流れだったり、 自分の声の質感だったり、 花の色の豊かさだったり、 そうしたものがゆったりとしたエネルギーの流れと共に、スルリと自分の中に流れ込んでくる。 その流れ込んできた質感は、間違いなく自分の中の乾いた部分を潤す。 潤された部分は動き出す。 動き出すと、始めは心地悪い。 なぜなら自分が意図的ではないが そこに設定してきたものだから。  しかし、 その心地悪さをしばらく自分に許していると、 その部分が自由に流れ出す。 そして、全体の流れと一体化し始める。 

ふと、足を止めた時に見えてきた景色だ。 

私は、この「質感」が小さい頃から大好きだった。 しかし、第一次お受験ブームがあり、左脳的な流れが優勢な時代だった子ども時代には 世の中は あまり そこに「価値」を見出すことは出来なかった。 そんなことをしていたらおいていかれてしまう。 人生というレースから。

だから、本を読んだ。 ものすごく沢山の本を。 その中から「質感」を大切にする作家が描く質感を見出し。 本を読んでいる間は、その「質感」を楽しんだ。 だから、私にとって本は、小さな子どもが時々ポケットから飴玉を出してこっそりと味わう至福感そのものだったような気がする。

しかし、ここにきてようやく「質感」を楽しめるような所に来られたような気がする。 

この「質感」を「クオリア」と命名し、その本質、その起源の解明が今後の人類にとっての最大の知的チャレンジであることを宣言した 茂木先生の存在も大きなものだった。

ヒーリングも この「クオリア(質感)」そのものなのかもしれない。