イシスの息吹

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場の波動でオーラは変わるのか?

クリスマス・イブの夜、家に帰ると両親のオーラが元気になっていた。 ここ最近、ヒーリングのセッションをしていても、まわりの知人を見ても、「元気」な人はあまり見かけない。 エネルギーが全体的に低下しているかのようにも感じる。 ノロウィルスも驚異的に流行っていて、確か去年だってあったウィルスなのだけれど。。 だから、両親のオーラというかエネルギーが急に元気になっていていて、とても驚いた。 今日は、いつもと違うことを何かしたかと尋ねると、5歳になる孫のK子が教会で聖劇に出たので教会のミサに行って来た という。 母にいたっては、夜のミサにも行きたいというので、連れて行った。 祈りが積み重ねられているお御堂の中は、明らかに他のエネルギーとは違い 入った途端に二人とも涙がなぜだか止まらず、鼻水を啜りっぱなしだった。 神父様のオーラも美しく紫色と金色に輝いていた。 

この、場の変化は先日訪れた箱根神社と横にある九頭竜神社の変化にも似て、とても面白かった。 信じている宗教はともかくとして、祈りが積み重ねられた場所のエネルギーの波動は他とは明らかに異なり、人々に影響を及ぼす。 日本人は、キリスト教でもないのにクリスマスは祝う! という声も聞こえてくるが、私は、こんな↓考え方が好きだ。

 『正月には初詣でに行き、結婚はキリスト教で、葬儀は仏教でやり、クリスマスを祝うという日本人の宗教習俗は、時には節操がないと批判される。だが、そもそも既成の宗教の体系性がフィクションに過ぎないのだから、このような批判には本当は根拠がない。初詣でには、「清め」、「決意」、「祈り」といった感情が込められている。一方、キリスト教式の結婚には、「誓い」や「絆」といった思いが込められている。そして、仏教式の葬儀には、「解脱」や「極楽浄土」といったイメージが結びついている。日本人は、このような異なる宗教的感情を、それぞれ適したフォーマットで表現しているだけだ。私には、このようなやり方は、既成の宗教のように、本当は存在しない偽りの体系性=フィクションを強制するやり方よりも、ある意味では先進的だと思われるのだ。 
 そして、このような宗教的な感情を構成する要素も、結局はクオリア=私たちの感覚に伴う独特の質感に帰着できるのである。あえていおう、宗教的感情は、クオリアである。なぜ私たちの心の中に、そのようなクオリアが芽生えるようなメカニズムが用意されているのか、そのことこそが問われるべきなのだ。』   (茂木健一郎『生きて死ぬ私』より)

だからというわけではないが、今日から奈良・京都 場のエネルギー発見の旅に行ってきまーす!

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