イシスの息吹

since 2014-06-27 / Copyright 2014. 山本ユキAll Rights Reserved. ブログ・イシスの息吹及び裏・イシスの息吹の内容を許可なく転載・転用することを禁じます ブログのリンクはその限りではありません

精神的物質主義

日当たりのよい窓辺で父が今朝届いたお花の位置をああでもないこうでもないと置き換えているのを見ていたら、何だか胸が熱くなってきた。 同じ種類のお花が家にやってきたのは、2年いや3年くらい前かもしれない、そのお花の生命力は素晴らしく、未だにその数年前に頂いたお花は成長し続けている。 一日に数センチ伸びる生命力に それまで植物にあまり関心がなかった父も 植物の楽しさに目覚めていった。 このお花が家に来てから、私にも家族にも沢山の出来事があり、沢山の変化があった。 昭和一桁の両親も入退院を繰り返しつつ その植物の生命力に驚き、毎日、「今日は何センチ伸びている。」とメモをつけていた。 その事も踏まえてお花を贈ってくれた人の 深い優しさ、思いやりは、お花を通して どんなフラワーエッセンスよりもパワフルに私たちを元気付けてくれる。

先日久しぶりに、20年以上前に毎日遊びまわっていた友人に会ったときも、その友人を見ただけで、胸が熱くなった。 当時、すべてを受け入れてくれた友人は、常にどこか孤独を感じている者たちに囲まれていた。 限りない包容力を持つその友人を どこかでいつも探していたのかもしれない。 その友人は以前も今も変わらずにすべてを受け入れてくれるような人だった。

「精神的物質主義」とは、チベットのチョギャム・トゥルンバによって作られた。この言葉の意味は、「スピリチュアリティは、われわれのエゴを超えるものでありながら、エゴがスピリチュアリティを使ってより大きなものになってしまっている。」 

この言葉が、痛く感じる。 目に見えない世界へ足を踏み入れたときは、それがあるのか、ないのか。 本当なのか、嘘なのか。 ただただそれを探るために日々を過ごしていたように思う。 しかし、ほんの少しエネルギーを感じるようになり、エネルギーを動かせるようになり、ふと気づくと ヒーリングを仕事にするようになっている。 競走馬のように慌しく前へ前へ向かって進んでいると、全体が見えなくなってくる。

しかし、神様のお使いのように 周りが見えなくなったとき 友人たちが光を運んできてくれた。 気負っていない彼女たちこそ本物のヒーラーだなー と思う今日この頃なのだ。。。