イシスの息吹

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三輪山平等寺

ここ最近 日本の神仏をめぐる旅づいていて、もしかして 私の今までの人生でまわって来た数を超えるくらい、多くの神社やお寺をまわっているのだが、その中でも、 昨年末 訪れた「山の辺の道」は印象深く残っている。 山の辺の道に至るまでの行程も どこか、繋がり仕組まれているのではないかと思うくらい 周到な巡り会わせがあった。 

奈良 桜井の駅を降りて、山に抱かれたのどかな道を行くと小さな小川のところで何かを燃やされているお坊さんがいらした。 年末ということもあり人影を見ることはなくこの道を歩いてきたので、会釈すると「どうぞお入りなさい。」と門を指差される。 どうやら、平等寺の裏門だったようだ。 門をくぐり入っていくと 一年分のお掃除が終わった後のような清浄感が感じられる。 ご本堂の隣には、ちょっと山小屋のような風合いの建物が建っている。 先ほどのお坊さんがやってこられたので、「ご本堂の中は拝見できますか?」と伺うと なぜだかビックリされたようで、「拝観料がかかってもよろしいのですか?」と尋ねられるので「はい、結構です。」と申し上げると 「では、こちらに。」と案内してくださる。「拝観料はどちらにお納めしたらよろしいですか?」と伺うと、賽銭箱の中に「お気持ちだけ」入れてくださいと仰る。 何とも商売っ気のない方である。 中に入ると、一通り私が見させていただいた後、声をかけていただいた。 大変若くお見えになるが、ご住職でいらした。 このお寺は、聖徳太子が9歳の頃 大和の国の乱れを見 「平和が成就したら 十一面観音を刻んでお納めします。」と三輪社に誓願を立てられ、大三輪寺をつくられたのがはじまりという。中興の祖は平安末期から鎌倉期に活躍した慶円上人このときに改称して平等寺となった。今の敷地をはるかに越える敷地に七堂伽藍のほか12の塔頭があり、三輪社奥の院として栄えたと言う。三輪別所とも呼ばれ、根本修行道場となって多数の碩学が集い、東大寺の宗性や西大寺叡尊など後世に名を残した高僧も数多く訪れていると言うことだ。 江戸時代には幕府の祈願所として栄え、三輪は平等寺門前町のようだったという。 しかし、明治に入りは廃仏棄釈により建物はすべて取り壊され、土地も没収された。 61体の仏像が他の寺や在家にうつされた。その中には 白洲正子の本でも有名な 聖林寺の十一面観音をはじめ立派な仏さまがいくつもあったそうだ。

長くなったので、次回へ続く。。。

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