トウキョウ 死者の書 5
しばらく、間があいてしまいました。
父が亡くなって、お別れの会を終え、
翌日から沖縄の御神事に向かい、
帰ってきて事務処理を終え、
名古屋にセッションに向かい。
翌日から、父と毎年訪れた山中湖に来ています。
父のエネルギーとはずっと毎日話しているのですが、
それとは別に、私の身体のなかの何かが、
自分の故郷が消滅してしまったようにバランスを付けることが難しく、
しっかりとした身の置き場を探していました。
そして富士の麓で、
ようやく、しっかりと自分の立つべき場所を見つけたところです。
それを教えてくれたのも父のエネルギーでした。
この地球にはいくつかの精妙なるエネルギーへとつながる場所があり、
富士もそのひとつ。
もちろんヒマラヤも。
しかし、個性が違うのです。
精妙さは同じであっても、
その個性ゆえに入口の抜け方が異なります。
この不二のエネルギーは唯一無二の一線があり、
その一線を辿ればうまく バランスを見つけることができます。
反対に言えば、その一線を見つけることの重要さ、
そして、難しさとも言えるかもしれません。
その一線さえ辿れば非常に安全に行き着くのです。
私が、末席に加えさせていただいている刀禅というお稽古の中で、
一線、二線
という全体(非常に広範囲の意味で)との調和の中で、、
自らの身体の中のラインを見つけ沿わせていくという所作を培うお稽古があるのですが、
今回、父の不在による自分の立ち位置の変化に伴うグラつきの中で、
薄紙一枚のようなエネルギーの一線を見つけることができ、
立ち位置を確立したとき、
先生のお稽古の奥にある凄さに気づくことができました。
エネルギー体では気付いたものの、
肉体レベルでは六年目にしてまだまだ定まらぬダメダメぶりですが、
ますます、先生の視点があまりに遠いところにあることに気づき、
感動しています。
先生のご覧になる世界は果てしなく素敵なところです。
さて、私の人生や私のあり方の中で父の存在は構造体であり、
母の存在は流動体。
父という存在が物質界から消えた後、
私は、自ら構造体を立て直す必要があったのです。
これは今まで経験したことがなかったので、
非常に興味深い体験でしたし、
新たに構築した構造体も面白い。
いつかまとめてお話しできたらと思います。
新たな構造体でのヒマラヤも楽しみです。