私の奥の院
娘がインフルエンザになったりスケジュールが合わなかったりでなかなか伺えなかった乳児院に久しぶりに伺うことができました。
お迎えいただく駅は、私の乗り降りする駅と違って、降りたとたんにピーンとすっきりした空気が感じられる山に近い駅です。今日ヒーリングさせていただく子どもたちの話を聞きながらさらに車でさらに奥に入っていきます。
建物には何箇所かドアがあり、子どもたちの所へ行くのですが、最後のドアの前に見覚えのある小さな男の子が立っていました。 いつもの彼のポジションと違うので、何だか不思議な感じがして。 だって、自分の足で立って歩いているのです。
最初に伺った時には宙を見つめてここにいないような感じの男の子でいつも抱っこされていました。自分の足を使って立っていることが
「こういうことだったんだね。」
というような感じで一生懸命立っているのです。
以前は、瞳を見つめると目が合っているような感じではなく その奥には宇宙が広がる感じがしたのですが、今は、照れて長い間目を合わせてはくれません。
彼の中では、一つ一つのことが少しづつ繋がり始めているのかもしれません。
「立つ」「一歩踏み出す」「膝を曲げてみる」ということがどんなに大きなことなのか、自分の中でk君が立ったことがどんなに奥の方を揺り動かしたのか、それは何とも言葉にはできない感動で、k君が通るたびにジーッと見つめてしまいました。あまりに見つめすぎて怖がられてしまった。
それにしても、子どもたちは健やかに成長していて、そこにいる職員の方はいつでも変わらず心から子どもたちを愛しんでいて、とてもゆったりと子どもたちを見守っています。ヒーリングをしていると「通常、私たちが出来ることはありますか?」と必ず聞いてくれて、「では、抱っこするときにここに手を当てて抱っこしてみてください。」とか「お風呂に入れるときにこうしてマッサージしてみてください。」という言葉をメモに取り実行してくれます。K君の成長も職員の方の努力の賜ということが良くわかります。
毎回感じますが、子どもたちの持つ生命力は素晴らしく。大人だったら長期間かかるであろう変化がみるみる目の前で起こることが良くあります。
私が長女を出産した後に、存命中だった私の祖母が赤ちゃんだった長女を抱っこして「神様だわ。。」とため息交じりに言っていたことを思い出します。その言葉の意味を確かめはしなかったのですが、こうして赤ちゃんを抱き触れさせてもらうことは、神聖な何かに触れるような素敵な体験です。
まだ言葉の話せない子どもの状態を知るには、身体に耳を傾けるしかありません.。
また、反応も速いだけに少しの気の緩みにも反応してしまいます。
ここは、自分にとって「初心に帰る。」事を思い出させてくれると同時に、生命の力強さも感じさせてくれる場所です。
都心から山に向かい、たくさんの扉をくぐりぬけてやっと辿り着くことのできる神聖な場所です。