瞑想の向こう側(インドのリトリート15)
『死』
という言葉が本当に染み入ってきたのは、
実は帰国後、ある人に会ってからだ。
なんだか、日本のエネルギーに馴染めない。
と、なるべく家から出ない日々が続き、
とにかく、座っていれば幸せなのだから、
今までの私の生活とは一変した。
買い物にも、食事にも食指を動かされず、
セッション以外は、とにかく座る。
だんだん、お化粧もしなくなり、
「すっぴんですか?」とクライアントの方々にご指摘を受ける。
数日後、数年前に来てくれていたクライアントの方から久しぶりにメールをいただいた。
彼女は、当初催眠療法に来てくれていて、
しばらくして、お妹さんがヒーリングクリニックのほうに来てくれた。
久しぶりのメールは、妹さんが余命がわずかで、
二人で話しているときに、私の話が出て
会いたくなった。
というものだった。
その週末、彼女たちに会いに行った。
久しぶりに見るお妹さんは、私が覚えている彼女とは別人のようになっていたけれども、
具合が悪い中でも、彼女の持つ飄々としたところはそのままで、
本当に懐かしく、たくさんお喋りをした。
ずっと握っている手は、とっても暖かく数年前よりも滑らかに感じられた。
その中で、彼女は「いかに残された時間が、どんどん過ぎてしまうか。」 を憂いていた。
私はただ、手を握り聞いていた。
ふと、彼女の周りに意識を持っていくと、
彼女の上に恩寵のエネルギーが広がっている。
それは本当に素晴らしく。
インドで感じた「そこ」に繋がっていた。
「ねえ、ちょっと目を閉じてみて。」
と彼女がそのエネルギーを感じられるように、導いていった。
恐らく、瞑想をしたことはないと思うのだが、
とってもすんなりとその中に入って行き、恐らく1時間以上そうしていた。
「どう?」と聞くと、
「何も考えないでいられて、穏やか。」と言っていた。
顔を見ていると、だんだんと観音様のように穏やかで神々しくなっていく。
すると、ぽつぽつと少し前に彼女が体験した臨死体験のことを話してくれた。
それは、
「自分から物凄くまぶしい光がパーッと外に向かって発光して、
これは何だろう?
と思っていると、次に今までの人生が走馬灯のように繰り広げられ、
それは、自分で覚えていないことまで次々と見せられて、
反省させられた。
「あぁ、これで死ぬのかもしれない。」と思った瞬間、
紫色の光に包まれて、身体に引き戻された。」
そうなのだ。
彼女は、その話は不思議なものでも何でもなく、
まるで日常の中の一部分のようにたんたんと話していた。
次の日も、どうしても彼女に会いたくなって、
会いに行った。
顔を出すと、「あっ 来てくれたんですか?」と少しはにかんだ表情が今でも忘れられない。
その日も、大部分の時間彼女の上にある恩寵と繋がりながら過ごした。
翌日は、遠くの病院に転院しなければならず、
もしかして彼女に会えるのはこれで最後になるかもしれないと思うと、
本当に立ち去りがたく、最後の時をともに過ごさせてもらえたことに本当に感謝した。
彼女の頬の感覚はまだ私の頬に残っている。
その時間は、私にとっても恩寵と繋がるとても素敵な時間だった。
マスターとの時間も素晴らしかったけれども、
私に「これ」を示し、意味するものを教えてくれたのは彼女だった。
ある晩、眠る前に「そこ」に身をおいていると、
素晴らしく高貴なエネルギーが私を取り巻いた。
あまりの事に時がたつのもわからなくなった。
その後、その晩に彼女がなくなったとお姉さまから連絡をいただいた。
彼女の魂の質感は、あまりに高貴で愛に溢れていた。
私は、自分が彼女をサポートできたらと思い、
彼女の元へ行ったけれども、
実はサポートされていたのは私のほうだった。
彼女の神聖なる魂は多くのことを私たちに教えてくれた。
『死』はけして恐れるものではなく、私たちが戻っていくところなのだ。
(Jさんのご家族のご好意により、この経験をシェアさせていただきました。)