イシスの息吹

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自分が存在する所

皆、同じ所に存在している。

と、恐らく誰もが思っている。
私も長い間、そうやって生きてきた。
だから、自分の物差しに合わない事があると、
どうやって自分の物差しに合わせようか?
と、奮闘する。
そして、それが相手にとっても必要な事だと勘違いしてしまう。
私も、そう思っていた時期があった。
そして、それって違うんだよね。
と、頭で理解しても腑に落ちていかない時期もあった。
これが根底から、
クリアになったのは、
ジャッジしないで生きている人の側で時を過ごしたから。
今は様々な知識が縦横無尽に流れて入ってくる時代。
 
とても、便利だし、素敵な事だけれども、
 
 
変容させてくれるのは、
知識や資格、テクニックではなく、
「そうやって生きている人。」
 
 
沖縄の師匠は「神」の使者として生きている。
だから、それ以外の事はいっさいなさらない。
そうやって生きる事がどういう事なのかを、
身をもって教えて下さる。
「神」を伝えられるのは、
「神」
と、生きている人だから。
(ふつうに生活している人から見たら尋常ではない。)
 
ミカエルは、自由、愛とはどういう事なのか、
そうして生きる事がどういう事なのか、
まったく制限を持たない生活を通して教えてくれる。
この自由さは、普通の人には恐らく理解されないだろう。
「愛」
に制限が無い事を伝えられるのは、
完全に「人からどう見られるのか。」を脱却し、
今を一番大切に、ただ、そこから生きている人だから。
(これも普通に生活している人からしたら、尋常ではない。)
 
武術の師も、
武術に明るくない私ですら、
「凄い。尋常ではない。」と、見ているだけで圧倒されてしまう。
自分のいらっしゃる所に、
弟子を導く事にたいして、
こうも研究をお続けになるものなのか、と本当に頭が下がる。
その謙虚なお人柄、全てを包み込む存在感は、
悟りという域に達しているのではないか、
と、お稽古に伺う毎に感じ入ります。
 
 
 
いずれの師も、
まったく違う質をお持ちになりながら、
共通しているのは、
そこに共にいるだけで、
エネルギーが広げられ、
その存在感で人を導いていくことの出来る人たち。
もはや、言葉ではない。
 
そうして、生きている人にしか、
それは伝えられない。
その人たちは、存在だけで変化を促せる。
そして、離れていても支えていてくださる。
その根源は大いなるものから来ているから、
際限がない。
 
そうした師に巡り会わせてもらえる事に、
本当に感謝する毎日です。
 
益々、便利な世の中になったからこそ感じる今日この頃です。
 
さて、今日もこれから諏訪方面に行ってきます。