イシスの息吹

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三つ子の魂百まで

『三つ子の魂百まで。』

これは、
「幼い頃の性格は年をとっても変わらない。」
という諺ですが、
初期に身に付いた習慣は、
なかなか手放す事は出来ない。
という事ですね。
 
周りの環境がどのようなものであったか。
という事もとても重要だと思います。
 
私にも、自分の習慣(パターン)があります。
規則正しさ。
目標に向けて突っ走る。
負けず嫌い。
向こう見ず。
こう書いていると、
向こう見ず以外は、
何だか、殆ど父の性格をそっくりそのままですね。
 
このような傾向性は、この人生に始まった事ではなく、
もっと、前から紡いできたものの様にも感じています。
 
このパターンによって、
今までの人生が構築されたのですから、
悪いものではありません。
しかし、これらのパターンを無意識に固執したくなるあまりに、
そこで、感情が出てきます。
『心は、真実なるものの大いなる殺し屋である。』
昔、読んだ本の中の一節です。
プラトンも「国家」なかでイデア(真実)について、
洞窟の中の影を自分だと思い込む。
という例を挙げていますね。
そう、
そこにこだわればこだわるほど、
自分の感情によって、
そこにある真実が見えなくなり、
自分のフィルターを通した事象に物事を変化させて行きます。
 
このフィルターに気づき、
洞窟から抜け出る事が出来たとき、
初めて、
青写真が見えてくるように感じます。
 
そのパターン「三つ子の魂」よりの向こう側があるのですね。
どんな世界がそこにはあるのでしょう?
どんな真実がそこにはあるのでしょう?
 
年を重ねるとき、
頑固なパターンに固執した人生でなく、
より柔軟になり、
自分のブループリントに沿った人生を歩みたいものです。
 
エスコフィエまだお席あります。