イシスの息吹

since 2014-06-27 / Copyright 2014. 山本ユキAll Rights Reserved. ブログ・イシスの息吹及び裏・イシスの息吹の内容を許可なく転載・転用することを禁じます ブログのリンクはその限りではありません

器の形状 3

 
 
研ぎすまされた器に、
純粋なエネルギーがそのままの状態で顕現できれば
言うことなしなのですが、
 
私たちという存在は、
多層構造。
異なる周波数の身体が、
「わたし」
と、思っている身体の内外に存在しています。
 
 
「人は、新たに生まれなければ、
神の国を見ることはできない。」
ヨハネによる福音書第3章3節)
 
宗教観によって様々な解釈が成されていますが、
私たちという存在を肉体だけの存在としてみるのと、
多層構造としてみるのでは、
この一節から伝わるものは変わってくるでしょう。
 
純粋なエネルギーである、
聖なる泉が自らの中に存在することを一瞬でも感受したならば、
自らの中に多層に存在するものに気づくでしょう。
 
内在する低自我と高自我の選択は
常に自分でしなければなりません。
 
そして、
この聖なる泉の水を認識するためには、
低自我の揺らぎをある程度俯瞰することも必要です。
 
それを経ずして、
純粋なエネルギーを認識することすら難しいでしょう。
低自我と高自我のパーセンテージの移行なくしては。
 
まずは、自己認識。
すべての思いや行動が、
どのような理由から成されているか知ること。
これはネガティブなことだけではなく、
他者から賞賛されるようなことの中に、
巧妙な低自我の策略があることを認識すること。
低自我こそが、
本来私たちが持って生まれた
内在する 美しいフォルムをゆがめてしまうからです。
 
コツコツと続けることなしに、
身体の形状も、
エネルギーの形状も、
心の形状も、
内在する純粋なるエネルギーに気がつくことすら難しいのですね。
 
しかし、
面白いことに、
身体も、エネルギーも、心も、
「痛み」として、
それを認識させてくれます。
酵母液は銀杏臭、お稽古は身体の痛み、エネルギーは好転反応
心は、反発・落ち込み・痛みetc )
痛みが出たならば、
そこにヒントが隠されているのです。
いろいろなところにぶつかりながら、
純粋なるエネルギーを模索していくことが、
生き甲斐でしょうか。
 
「日々鍛錬」
 
ですね。