アッシジ
みなさま、ごきげんよう。
甥の敬太も愛読してくれている事が判明しました!
敬太、できればコメントもお願いします。
さて、
先日、次女とイタリアに行って参りました。
秘境の地を提案したのですが、
却下されイタリアです。
しかし、ただの観光ではつまらないので、
2日目にしてアッシジまで足を伸ばしました。
ローマから列車で2時間ちょっと。
時差ぼけで早起きなのをよい事に、早朝ちょっとドキドキしながら
ひと気のない 地下鉄に乗り出かけました。
アッシジの駅を降りると、
足下からしんしんと寒さが身体を上ってきて凍りそう。
すぐにタクシーに乗り、
スパシオ山に向かいます。
ここは、フランチェスコやその弟子(兄弟)たちが退修所にしていた山です。
タクシーを降りると、
ローマの喧噪とは全く違ったエネルギーです。
門をくぐると、静けさが身体に流れ込んできます。
それは音だけではなく、
エネルギーの静けさ、静謐という事でしょうか。
小さなお御堂を抜けると、
自然の世界に入っていきます。
Tはフランチェスコのトレードマーク。
山道を歩いていると、
本当に意識が内側に向かい、
あちこちにある洞窟は、メンバーが修行に用いた場所でしょう。
ある場所に、フランチェスコが地面に横たわっているブロンズがあります。
雪が降り積もっていたので、
お顔を拭わせていただきました。
フランチェスコは、ここでこのように横たわって星々と対話していたようです。
ご自分も自然の一部だったのでしょうね。
放蕩息子としての人生の前半を歩んだ後に、
物を所有することが束縛に繋がると悟り、
すべてを放棄して後半の人生を歩み始めます。
すべてを放棄し、ローマ教皇のもとに向かったとき、
すべてを放棄するその徹底したあり方に、
誰もが窮屈すぎはしないかと感じたようです。
実は、私はこの地に来るまで、
フランチェスコに「説教臭さ」を感じていました。
でも、このカルチェリの庵に居ると、
無限に広がる自由さを感じ、
それは、フランチェスコが自分の手からすべてを手放す事によって、
無限に広がるエネルギーと繋がったように感じるのです。
その上で、フランチェスコの祈りを読むと、
その祈りの中に無限なる世界を改めて感じます。
フランチェスコの平和の祈り |
主よ、わたしを平和の器とならせてください。 憎しみがあるところに愛を、 争いがあるところに赦しを、 分裂があるところに一致を、 疑いのあるところに信仰を、 誤りがあるところに真理を、 絶望があるところに希望を、 闇あるところに光を、 悲しみあるところに喜びを。 ああ、主よ、慰められるよりも慰める者としてください。 理解されるよりも理解する者に、 愛されるよりも愛する者に。 それは、わたしたちが、自ら与えることによって受け、 許すことによって赦され、 自分のからだをささげて死ぬことによって とこしえの命を得ることができるからです。 |