エネルギーの学校と魂の蒸留
みなさま、ごきげんよう。
マウイのジャック蒸留ワークショップから戻ってきました。
今回は、エネルギーの学校の貸切状態という贅沢な機会でしたから、
皆、リラックスして楽しくも濃密な日々を過ごしてきました。
さて、私がエネルギーの学校を始めてからおそらく9年の歳月が経とうとしています。
最初は、チネイザンで一緒だったヒロヒロが、
「ユキさんのやっていることを教えてください」
と声をかけてくれて始まったこのクラス。
当初、クラスの名前もありませんでしたが、
いつの間にか、みんなが
『エネルギーの学校』
と呼び始め、
それが正式名称になったのは、
面倒くさがりの私らしく、
とても気に入っています。
最初は顕教的な要素が強く、
知的好奇心をくすぐるようなクラス構成。
その後、密教的な要素に移行し、
そして、沖縄の師匠に巡り合ってからは、
クラスの流れが上に全託され、
「自分」という枠組みをいかに外して全体と一体になるか。
という流れになってきました。
もともと、興味のある人たちが集まってきて始めたクラスですから、
卒業も自己申告。
自分でOKと思ったら申し出てください。
ということです。
ゆるゆるしているようですが、
実は厳しい(笑)クラスです。
だって、誰がどの程度のところまで来ているかは、
全員がわかっちゃっているからごまかせないのです。
今回、ジャックの蒸留道の話を聞いているうちに、
エネルギーの学校でやっていることは、
内なる蒸留なのだ。
ということに気づきました。
前回のJackワークショップのブログからの抜粋
タンジェリンを輪切りにしてそのまま蒸留しているのを見て、
(自分が柑橘類を蒸留するときに)
皮だけで蒸留していたので、
「私は皮だけで蒸留していました。」
と、申し上げると、
「確かに、皮の中にオイルは入っている。
でもね、僕は成分を取り出しているのではなく、
植物の魂を取り出しているんだよ。」
うーん!
深すぎる言葉に目頭が熱くなる私。
「見てごらん、この蒸留器を丸いだろう?
これは地球なんだ。
そうデザインしたんだ。
水蒸気蒸留は、植物に圧力をかける。
蒸留する植物たちに地球以上の圧力をかけると、
植物の持つ生命エネルギーを破壊してしまうんだ。
ハイドロ蒸留では、水の中にすべての生命の要素が入り、
太陽の光が当たり、
蒸気になる。
そこには、すべての命を運ぶ粒子が入っている。
地球だってそうだろう?
太陽が地球の水をあたためて、
水蒸気があがる、
そして、風に吹かれて冷たい空気にあたり、
地球のエッセンスである雨になる。
そして、また大地へと還っていく。
水蒸気はエッセンスであり、生命力なんだ。
蒸留の芸術は、地球の芸術でもあるんだ。
ただ、自然を学び、その一部をいただくのではなく、
人間が息を吹き込む事により、芸術になるんだよ。」
あぁ〜!
だからこそ、あの精油が生み出されたのですね(涙)
その後、
ジャックのデザインした蒸留器についてのレクチャーが続きました。
本当に錬金術なのです。
ジャックは蒸留が始まると、
片時もそこを離れず、
ガラスの丸い蒸留器の中で植物のリズムが途絶えないよう、
細心の注意を払って温度や圧力を調整します。
そして、
ジャックは水(イアオ渓谷のもの)
と植物とのやり取りの芸術を知り尽くしているのです。
だからこそ、
フラワーエッセンス的な役割をも果たすオイルになるのでしょう。
誰に教わったわけでも、
本で学んだわけでもなく、
自然と語り合いながら試行錯誤のなか、
作り上げられたジャックの蒸留システムは、
まさに「神聖」の宿るシステムなのです。
とあります。
この時は、オイルの蒸留にしか思いが至らなかったのですが、
今回、メンバーが香り聴きをしている様子を見ていると、
「あぁ、エネルギーの学校は私たち自身を蒸留するシステムなのではないだろうか」
と感じました。
それぞれが未だ気づいていない 自らの魂のエッセンスと精油が呼応しているのです。
材料は、まずイアオ渓谷の水にしばらく浸されます。
そして、そこに植物のエッセンスが解き放たれます。
次に、火をつけ丸いビーカーの中で植物たちがそれぞれのリズムで踊り始めます。
やがて、熱されたエッセンスは水蒸気になり、
上へ上へと登っていきます。
コンデンサーに冷却装置から冷たい水が送り込まれ、
急激に冷やされた水蒸気は、
植物はそのままの形から水の中すべての要素を解き放つ時、
その植物の物質的な形を脱ぎ捨てます。
そうして解き放たれた時、
水蒸気となります。
人間にとって『自分』という物質的な枠組みを手放すことはとても難しいです。
構築した自我を見つめていく必要があるからです。
そして「自分」という枠組みを越えるために、
人によっては熱される必要があったり、
水に解き放つ必要があったりと、
様々な難しい行程があります。
知識をつけて賞賛されることも、
イメージを作り出して賞賛されることも、
それは、自らのエッセンスを解き放つのとは反対の方向にあります。
自らを解き放つ勇気以外、何の役にも立ちません。
そして、月に一回のクラスをコンスタントに続けていくこともに意味があります。
エッセンスを解き放つまで、
絶やさず火を燃やし続ける必要があるのです。
それを経て自分を解き放てた時、
水蒸気となり、上へと上昇し、
ここでまた冷やされ、
自分を超えた魂のエッセンスが生み出されるのです。
自分という物質的な枠組みを超えた無限のパワーを持つ、
自らの魂のアートなのです。
こうしてみると、私が蒸留を始めたことも単なる偶然ではなく、
このシステムを学ぶことによって、
短いスパンでは見ることのできない、
大きな魂の蒸留システムを知ることができるのです。
すべてに偶然はなく、
美しく織り合わされたブループリントなのです。
私たちは自らの魂のエッセンスを蒸留するアーティストなのです。
そして、エネルギーの学校は
「魂の蒸留装置」
なのです。