今年も一年ありがとうございました
山本ユキHP エネルギーの学校(私のHP)
(マニアックな記事はこちらに更新中 YEメソッドせずして見るべからず)
みなさま、ごきげんよう。
2016年どんな一年でしたか?
私は激動の一年になりました。
一番大きなところでは、父を彼方の世界に送り出したことです。
にまつわる出会いがたくさんあったこの数年。
それが父の死へのプロセスに
こんなにも寄り添いサポートしてくれるものだとは思いもしませんでした。
昨年の今頃はピンピンして毎日8千歩あるいていたのに、
2月に「死への準備」の話を持ちかけられ、
妹と共に父の死へのプロセスを伴走した5ヶ月間。
バルト・トドルの49日のプロセスが生前に前倒しになり、
日々、父の感情とアストラルの世界と光と現実を家族で行き来する
貴重な日々でした。
奇しくも同じ7月7日に亡くなった永六輔さんが、
「死を見せる」
という話をなさっていたそうですが、
本当に見事にそれを見せてくれた5ヶ月間でした。
亡くなって父の部屋を片付けるにも
余計なものが一切なく、
書斎いっぱいにあった本も、
ほんの数冊。
洋服も最低限。
残っているのは薬類と
孫に見せたいと撮りためておいた
それぞれの孫の研究分野のDVD。
(大掃除をしていると、いかに父の片付けが見事だったか痛感します)
財産も全てスムーズに相続できるような措置を取ってあり、
年賀状も数年前から辞めていたので問題なし、
御心でいただいたお香典は、
ずっと支援してきた「国境なき医師団」に寄付。
遺言で私のヒマラヤの子供達支援にも援助してくれました。
毎年この時期になると、
孫たちのクリスマスプレゼントをどうするか悩み、
ちょっとこだわりがあって気の利いたものを探していました。
去年中学受験を前にしていた敬太には、
格言の日めくりカレンダー。
毎日皆で
「そんな格言があったんだ」
「これは知ってる」などといってめくってきましたが、
残り一枚になってしまいました。
父がこれを購入するときに、
この日めくりがこんなに父を思い出すものになると知っていたのでしょうか。
父がいたときには少々うるさく感じたことも、
亡くなってみると父が要になりこの家をまとめていたことを痛感します。
病院で父と交わした会話は、
私の宝物です。
(彼方にいってからの会話も)
そして、父の見事な死へのプロセスを私も紡いでいきたいと思います。
3月の峰華の結婚宣言から9月のお式も、
父の死への移行プロセスの中で同時進行。
「峰華のドレスは僕が買うから」
と、そこでもしっかりと孫を送り出した父です。
理紗子も今年から就職し、
父と峰華がいなくなった家の中でとてもしっかりとした存在になっています。
私と理紗子は念願のキャリーみたいなクローゼットを作りました[E:shine]
今年は海外にもたくさんおご縁があり、
フィレンツェ・ヒマラヤ・マウイ・ハワイ・ヒマラヤ
と参りましたが、父のことでスケジュールを変更したことは一度もなく、
これも父に感謝しなければならないことです。
私の仕事の方では、ここ数ヶ月で、
エネルギーの学校のメンバーの先に光が見えてきたことは
とても嬉しい事です。
「また1から育てなさい」
と言われても直ぐには同意できるかどうか・・・
自分の子どもを育てるのと同じくらい
いやそれ以上に大変です。
すでに固まっている人を育てるのは。
お尻を叩いたり、突き放したり、褒めそやしたりしながら、
あの手この手で一生懸命育て上げてきました。
(といっても、途中からは上のご意向を紡ぐ役目でしたが)
精神科との協働も一年半になり、
とても貴重な経験を積み重ねさせていただいています。
ヒーリングの歴史上、どんなに良い結果が出ようと
際物扱いされ続けてきたヒーリングを取り入れてくださる勇気には、
本当に感謝しています。
そして、
このように協働してくださる専門医の方が増えていくことを切に願います。
(と、共にエネルギーを扱う側の質と力量も整えていくことは最重要事項)
ヒマラヤでの蒸留施設も蒸留作業も着々と準備が進んでいるはず。
このプロジェクトによって
ヒマラヤをはじめとしたたくさんの方々に潤いが生まれますように。
こちらもライフワークとして続けていかねばなりません。
とにかく、歳を追うごとに充実していく人生です。
エゴに使っていたエネルギーが、
これから先の人生を切り開くエネルギーに変容し、
力を入れて漕がなくても、
どんどん船は進んでいきます。
来年はどんな景色が見えてくるのでしょうか。
今年一年本当にありがとうございました。