真人→人間→真人
山本ユキHP エネルギーの学校(私のHP)
(マニアックな記事はこちらに更新中 YEメソッドせずして見るべからず)
昨日の投稿の中にあった
『人生88年。
生まれた時は「真人」
1歳から「人間」
になり「間」を一年づつ重ねていく、
そして、44過ぎたら「間」を一つづつ返していって
あちらに還るときに真人に戻る 』
の件ですが、
『間』
について少々追記しますね。
『間』とは、おそらく自我のようなニュアンスでお話しされていましたが、
この『間』を作ることは、
文明社会の中で機能していくには必要不可欠だと思います。
しかし、人生半ばになるとそれを手放した方が上手くいくようになる。
『間』を増やしながらの人生に耐えうるほど、
ありがたいことに、
まだ人間は機械化していないのではないかと思うのです。
『間』
とは、人生の中で金の延べ棒のようなものだと思うのです。
様々な試練の中で一本づつ貯めてきた金の延べ棒(鎧・自我)は、
それがあるからこそ
社会や家庭の中での自分の立ち位置を確立することができたのです。
しかし、その重みに耐えられなくなってくるのが人生半ばではないかと。
そして、心身の不調や
今までのやり方がうまくいかないというウェイクアップコールが鳴り、
その金の延べ棒を一本づつ取り出して脇に積む作業が始まる
ミッドライフクライシス。
(YEメソッド2チャクラ編)
積み上げた金の延べ棒は誰かの手に渡ってしまうのではなく、
自分で持ち歩いていた重荷を一旦置いて、
必要な時には、それを利用していくことになるのだと思います。
だから、多くの人が感じる「捨てることに対する恐怖」は不要です。
より広い視野からの投資であり、
ふさわしい洋服を選ぶようなものですから。
(YEメソッド3チャクラ編)
より人生がうまく回り始めるのです。
そして一つづつ『間』をとった内側の空間にヴィンテージラインを作り、
真人 になるのでしょう。
(YEメソッド4チャクラ以降)
4月7日には、このYEメソッドの話もさせていただこうかと思います。