イシスの息吹

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正しさという呪縛 1

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次回の「医療従事者クラス」からエーテル体実習に入ります。

yukiyamamoto.hatenablog.com

 

早朝の空気が皮膚にひんやりとまとわりついてくる気持ちの良い朝です。

 

精神科で協働させていただくようになって6年目に入りました。

 

エネルギー領域の中に身を置いていると、

それが非常に有効であることがわかっていても、

エネルギー領域という言葉を使うことを憚り保身に入る人に絶望することが多いのですが、

こうして精神科とエネルギー領域の研究を続けてくださるばかりか、

私が話したことを何方かに話される時にも

それを相手に伝え、その度に私に確認すら取ってくださいます。

これはなかなか出来ないことです。

白川先生の「男気」には頭が下がります。

 

 

その男気に敬意を払い、私も出来得る限り

精神疾患がエネルギー領域でどの様なことが起きているのかを詳細にお伝えしようと試みています。

 

疾患の原因となる問題は、ご本人の認識している顕在意識に上ってきている情報だけでなく、

その背後、意識下にある情報も様々な周波数領域に浮かび上がってくるので、

より深い部分の問題も見ていきます。

見えてくる情報に関して、

私には理由が分からないものもあるので、

ご本人や白川先生に確認することもあります。

「こういうものが見えているけれど、心たりはありますか?」

エネルギー領域には沢山の情報があるのですが、

一番最初に見せられるものは、

セッションのキーポイントになる事が多いように思います。

大抵は、ご本人の夢や忘れていた部分にその情報とリンクする部分があり、

セッションの中で、そのより深い部分を探り、

滞りを解除していきます。

セッションは、予め決められた手技をするのではなく、

その時に現れた事象に応じて、

組み立て、

変化が現れると、更にそこで立ち止まって、次に進む道を選択していきます。

それは洞窟の中を探検するのと似ています。

唯一必要なのは、

エネルギーを常に思考や感情に落とさない事。

常に個を超えたより広い視野から見続ける事です。

そうしないとクライアントの人生の中で起きた

「一般的な想像を超えた出来事」を認識していく事が出来ないからです。

 

この「一般的な想像を超えた出来事」を説明しようとしても、

私たちが一般的に知っている「正しさ」などどこにも当てはまらないものばかりです。

(下にリンクした記事もその1つ)

そうした「1つも正しくない」と思われる出来事を抱え、

「正しい世の中の枠組み」に自分を入れ込んでいくことは非常に困難ですし、

さらにエネルギーを折りたたみ滞らせる大きな要因に感じます。

 

 

 

インターネットが生活の中心になろうとしている今、

正しさについて論じられる機会が増えています。

まず1つ目。

協働者の白川先生の記事がロイター通信に掲載されました。

焦点:日本で相次ぐ性犯罪の無罪判決、法改正求める切実な声 - ロイター

素晴らしい記事です。

性虐待については、

あまりオープンになっていなかった領域なので、

こうした記事は本当に貴重なものですし、

「知らなかった」「常識的に考えて」

という自分の枠組みを超えて考えていく必要があると思います。

記事にはポジティブなものもネガティブなものもコメントが寄せられていますが、

「今までの正しさ」を超えたところからみなさまもどうか考えてみてください。

そして、2つ目。

昨日タイミングよくfacebookの友人のウォールにこんなリンクが貼られていました。

正しさが暴走するこのインターネットは早急に滅ぶべきである|Pato | Dybe!

「正しさが暴走するこのインターネットは早急に滅ぶべきである」

という記事です。

お時間あれば両方共にぜひ目を通してみてください。

 

 

正しさとは何だろう?

 

私はよく考えます。

集団生活をする前の正しさは家庭内の正しさ。

この背景には、先祖から代々伝わってきたしきたりや、

土地のしきたりなど。

 

「しきたり」

とは何だろう?

と調べると、「慣例、習わし、昔からしてきた事」

とありますので、

これが本当に正しいのかどうかは定かではありません。

 

幼稚園や小学校に上がれば、その集団の正しさが新たに加わり、

中学、高校、大学、会社と成長するごとに正しさの定義は増えていきます。

学校のみならず、

人間関係の残酷な正しさも加わります。

その正しさはどうやって定義されるのかといえば、

その時に力のあるものの見解(時代・政治・役職・友人関係etc)が殆どのように思います。

この2つの記事では、

「その力あるものの正しさ」

の定義に対して、テーマの違いはあれ再考する機会を作ってくれるもののように感じます。

長くなりましたので、シリーズ化します。

 

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