イシスの息吹

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くみちゃんの美学

大切な仲間の一人であるくみちゃんが旅立たれました。
エネルギーの学校で4年半ご一緒しました。
今年の始めあたりから、闘病され、しっかりとした自分の意図のもと、
ご自分で治療方針を決められ、
それが揺らぐ事はありませんでした。
「私は、こんなに揺らがずにいられるだろうか?」
と、何回も思うほどに、しっかりと毎日を生きていました。
くみちゃんには、日本女性が持っていたであろう「美学」をしっかりと持つ女性でした。
4年半のうち、闘病されてからが一番くみちゃんと話をしたと思います。
お家に伺ったり、ご家族とお話させていただいたり。
くみちゃんがくみちゃんたる所以が見えてきました。
世が世ならば召使がかしずくような生活をしていたのであろう背景の中、
自分から様々な世界に飛び込み、全く環境の違う人たちと交流していたくみちゃんは、本当にまっすぐでかわいい人でした。
「お入れになって。」
これは小さなとき、遊びに入れてもらう時に使っていた言葉だそうです。そんなくみちゃんが「いーれて!」と私たちの中に飛び込んできてくれた事、本当に嬉しく思います。 
仲間と一緒にお家にお邪魔した時、
お庭のすみに井戸があるのを見つけると、 
「何かあった時に、ご近所に水を配れるでしょ。」とサラリと言った事。
(本当にくみちゃんは、何でもサラリと言うのです。)
ご主人との新婚時代の話。
絶対に弱みを見せなかったくみちゃんが、だんだん身体が辛くなってきて、
お子さん達にそれを打ち明けた話。
みんなに「やって!」って言えるようになった話。
腹水がたまって歩けなくなってきた時、大好きだった庭いじりの話になり、「近所の花屋さんが来てくれて、相談したらね、良いお花があるっていうからね、それを植えようと思うの。これからの季節でも奇麗でしょ。」とまっすぐ前を見ている表情。
どんなに苦しくとも、何だか普通の話をしてました。
たまにくみちゃんが不安になると電話がかかってきて、
そのときのくみちゃんは、声が少し沈んでいて、
そうか、そうか、と話した後、私が「じゃあ、今から私がやる事をそのままやってね!そうするとくみちゃんの不安がうーんと少なくなりますよ!」と言うと、「うん、わかった、こうするのね!」と電話口なのに、「そうそう!」とか言ったりして、「どう?」と聞くと、「うん、何だか少なくなった。」とかやったなぁ〜とか。
入院する時、治療方針を転換しなければならなくなった時の本当に悔しそうな声だとか、
入院した後に、玄米菜食じゃなくて普通の食事をするように言われたからといって、
「ユキさん、雲丹を2カン。ホタテ1カン、サーモン1カン 持って来て。それでね、雲丹は茶色いのじゃなくて、オレンジのにしてね。」と電話があり、その3日後の朝「ユキさん、何だか今具合が悪くて食べられないの、だからお見舞いはちょっと待って。」と電話があって、だから「わかった、じゃあ雲丹保留にしておく。」ってしゃべったの最後だったなぁ。
でもね、くみちゃんは本当に抜かりのない女性だから、最後にお家に伺った時に、「みんなに持ってきてもらった荷物、持っていって渡して。」と、仲間がくみちゃんのお家に置いてきた品を紙袋に入れて用意してあったり、だから、きっとくみちゃんの中ではあちらへの移行への道が見えていたんだろうなぁと思います。お寿司を頼んでくれたのも、くみちゃんのサラリとした挨拶だったのかもしれないなぁ。
くみちゃんと会話は、どんな時も普通だったから、肉体を通してのお別れの合い言葉は「オレンジ色の雲丹」。
昨夜のお通夜のあと、一緒に学び、様々な形でくみちゃんをサポートしてきた仲間と一緒に「オレンジ色の雲丹」を食べにお寿司屋さんに行きました。
もちろん、くみちゃんのお席を作って頼みました。「オレンジ色の雲丹2カン、ホタテ1カン、サーモン1カン。」