イシスの息吹

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サバトから沖縄へ 8

 
先生は、
「心磨き。」
という言葉をよく使われる。
すべては、心だと。
 
私も、ともすると、自我からの視点で物事を見てしまう癖が出るが、
「ヤツ」にも「光の神」にも、
その度に、
「心を透明にするように。」
とご注意を受ける。
どうしても、今まで生きてきた「信念」や「価値観」で、
物事を判断してしまいがちに、なるけれども、
それでは、「本当に深い部分まで知る事、見る事は出来ない。」との事。
毎朝、苦手な人に光を送る事を続けているのだけれども、
そうすると、何故苦手なのかという傾向性が見えてくる。
(ここでまたまた、性格構造論での自分の傾向性と重なる。)
 
恐れ多い事に、
上からの光とお力を頂いたあと、
「全ての苦しみを引き受ける事。」
の意味が分かり始める。
自分の中では、未だ「事が大きすぎる。」
と、どこかで引くが、
私の中には、光と力がまがう事なく存在している実感が、
そうさせる。
 
ひと月前の自分であれば、
「偽善的。」
と撥ね付けている事だと思う。
しかし、それをやってみて、感じたとき、
「これが、神さまの心なのかもしれない。」と、思う。
「神心」
というものを味あわせていただいていることに気づき、
さらに、光と力が大きく広がって行くのを感じた。
 
そして、引き受ければ引き受けるほど、
それは大きくなって行く事を知った。
自分が引き受けるものが多くなれば、
ご指導くださる神さまもどんどんかわっていくのだ。
 
知らない事って沢山あるものです。
だから、常に柔軟に自分の枠組みを作らずおく事は、
とても大切なんですね。