海のエッセンス 11 厳島神社観月能
心構えを伺うと、
「拍手はしません。」
との事。
以前、確か先住民族の話の中で、
「拍手をすると、場のエネルギーが壊れてしまう。」
と、聞いた事があり
その場の余韻を味わう為に拍手しないのは、納得です。
場が静まり、
更に潮の満ちる音と月明かりの下で、
能舞台を見ると、
しっかりとした揺るぎない5レベルの世界が広がります。
絶対に揺るがない線。
この場と、
世阿弥が
「幽玄」
(世阿弥は、『花鏡』の中で、「ことさら当芸において、幽玄の風体第一とせり。」(能では、幽玄の姿であることが、第一に大事なことである。)と述べた後、幽玄の最も良い例として、12〜13歳の少年が能面をつけないで舞台にいる姿を挙げています。幽玄とは、「美しく柔和な姿」という意味です。音曲の美しさ、姿が美しく静に舞う姿などが「幽玄」です。たとえ鬼の演目でも、写実に走らず、美しく舞うことが求められたのです。
能の美は、謡(うたい)、舞、楽器の演奏、豪華な衣装などの各要素の「美」を結集したところに生まれるものです。このように、総合芸術であるというところが、ほかの芸能とは異なった能独自の価値を生むことに繋がったのです。加えて、世阿弥は「口伝」を考え出しました。今の家元制の発案です。家元制により、「幽玄」という美の価値は、さらに神秘化され、権威付けられました。こうして、能のブランド・イメージが確立されたのです。世阿弥の言葉 より)
と、称した世界が重なり、
時空を超えたエネルギーが広がります。
夢のような美しい贅沢な時間。
死者を扱いながらも、
アストラルに留まらせない。
極限まで簡略化しながらも揺るぎない美しさを保つ舞台、
月や潮の満ちる音、風などの自然との響宴、
一つ一つの音や動きに無駄が一つもないので、
否応無く集中し、その波動に同調していく。
本当に気が遠くなりそう。
日本の文化恐るべし。
相当に研ぎすまされた高度なエネルギーです。
贅沢な贅沢な時間を本当にありがとうございました。