イシスの息吹

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天才論

ここの所 ズーットすっきりとしなかった。 喉に何かが引っかかっているような感じがして。 それは、完璧に見えるものに対しての疑念のようなものだった。 綺麗ごとの中に真実はないような そんな感じだ。

茂木健一郎の 天才論 ダヴィンチに学ぶ「総合力」の秘訣(朝日新聞社) 

この本を読んでいて、それが何なのかがいい具合に見えてきた。 この本は、インタビューを元に構成された本のようで、氏のいつもの著作とは少し異なる感じがするが、語り口であることによってのサラッと流れる言葉の中に『上からの流れ』のようなものが感じられ、流れが心地よかった。

その中で、「自分たちの起源が、ほかならぬ自分たちにには隠蔽されていることは、われわれに強い不安をもたらします。だからこそ、人間は神というものを構想したのではないでしょうか。」「レオナルドの作品が差し出す謎と不安は、まさにこのようなものだと思います。生命そのものの根源に横たわる謎。」 こんな行があった。 このあたりで「つまっていた何か」が心地よさへと変わっていくような感覚を得た。

私が魅力を感じるものはどんなものだろう。 完璧に聞こえるフレーズの中に外れた音を見つけたとき 幾度となくその音を反芻していることに気づいたり。 完璧に見える人の中に、外れた部分を見つけることによって、より愛おしさが増したり。 完璧に整っている仏像よりも、どこかが朽ちている仏像に果てしない永遠を感じたり。 この本の中でも、夏目漱石の「坊ちゃん」に関する行があり、漱石は自分の事を誰だと思っているかというと坊ちゃんではなく ずるい赤シャツだ という。 これを聞くと、「坊ちゃん」という作品が私の中で、ただの課題図書ではなく、非常に深みのある味わいある作品へと変わっていった。 自分自身に対してもそうだったかもしれない。「完璧にあらねば」とか「そう見えるようにしなくては」とか「こうあるべきだ」などと思っているときは、自分の事を愛おしくは思えなかった。  

「ゆらぎの美学」こそ私にとっての真実に続く何かかもしれない。 

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