エゴとの対峙
ゾハールの書の中では、
エゴは「自分だけ受け取りたい欲望」.
無限の分かち合いは神の本性、
分かち合うことが難しい時でも、
不快な時でもいつでも行えるようになると
それは「変容を促す分かち合い。」と呼ばれるそうです。
「アレクサンドリア」の中で、ヒュパティアの奴隷であるダオスが、
主人のためのパンを飢えたキリスト教信者のために差し出すようにアンモニオスに促され、
貧しきものにパンを配り、
ダオスの目のエネルギーが変わっていった場面は、
まさにこの「変容のための分かち合い。」があり、
彼の中の何かを変容させたであろう印象に残る場面でした。
しかし、それを促したアンモニオスの目の中には正義という仮面をつけた狡猾な「エゴ」が身を潜めている。
この「神聖とエゴ」の対峙の場面は今でも繰り返し思い出します。
この映画の中で一番印象に残ったシーンでした。
この本を読んでいると、題名を見て みんな失笑するのですが、
勿論、当初 私も「この題名はどうにかならないのか?」と思ったのですが、
最後の大沼先生の解説を読むと、
この本の題名も納得できます。
わざわざこの題名にしたことが、この本の内容を物語るように今は思えます。
改めて、この時を意識的に生きなければと深く教えてくれる本でした。