工夫するということ 2
脳の話が多くなって恐縮だが、
脳の容量は決まっていて、
枝振りを良くしていく事が成長という。
そして、その枝振りをどのように成長させていくか。
そこには、不自由さが大きな要素となって浮かび上がるように思う。
このまま人間が自由を謳歌し、便利さの中で生活し続けると、
私たちの脳は、恐ろしくバランスの悪い偏ったものになっていくかもしれない。
現に、少しづつ私たち現代人の脳にはその兆候が現れ始めている。
そのうちにシッポが退化したように、
私たちの頭の形も変化していくのかもしれない。
いや、発達しなかった脳の一部には、
もしかしてコンピューター制御の機械が入ってロボット化していくかもしれない。
私たちの未来には、何が待っているのだろうか?
いや、私たちはどのような未来を展開していくのだろうか?
脳の発達には、不自由さの中での工夫が必要になる。
たとえば、核家族化で得がたくなった異世代との交流は非常に大切な要因の一部だ。
自分と違うペースで生活するお年寄りや小さな子どもの話を聞くことは、
自分のリズムとは違ってくる。
しかし、相手のリズムに同調し、自分のリズムを変化させることによって、
脳のある部分は成長をする。
日本は本来、村文化であり、
異世代との交流が当たり前になされていた頃には、
それが脳にどのような影響を及ぼしているかなど、考える人もいなかっただろう。
しかし、今 社会的に
自分のペースを乱すことがいやだ。
ということに起因している問題が多々みられるように思うのは、
気のせいだろうか?