イシスの息吹

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トウキョウ 死者の書 4

 
名古屋セッション 8月6日15時〜1枠あります。
山本ユキHP エネルギーの学校
 
 
 
父が亡くなってから、毎日父と話をしています。
 
少しづつ、そのことを書いていこうと思います。
 
 
7月に父があちらの世界へと移行する前。
 
父は、それまで私のやっていることにあまり関心もなく、
 
60歳のときに患ったガンのせいで、
 
病と死という恐怖の中で生き続けた25年でしたが、
 
ある時から、見えない世界のことを口にするようになりました。
 
 
 
今年2月、肺炎による一回目の入院。
 
その日は、朝早くレントゲンの検査があるということで、
 
付き添うために私は病院に行きました。
 
今日と同じようによく晴れた日で
 
朝のレントゲンの検査が終わった後、
 
父が「ちょっと人がいないところで話がある」
 
といって、病院の外に私を連れ出しました。
 
朝のスッキリとした空気の中
 
ちょうど座れる高さのコンクリートの石段に腰掛け、
 
「これほど死を身近に感じたことはなかったよ」
 
と父は話しを始めました。
 
喪主は私に任せること。
 
お墓のこと、葬儀のこと。
 
誰に連絡をしたらよいかということをテキパキと指示しました。
 
私は、急に父の口から「死」ということばを聞き、
 
どう父に接してよいかわからず、
 
でも、父が感じている死という重圧を少しでも減らしたくて、
 
「わかった。でも死って怖いものじゃないと思うんだよね」
 
と話したことを思い出します。
 
 
父から預かった案件は、先送りにしたかったけれど、
 
せっかちな父が心配しないように、
 
お墓をどうするか、
 
お葬式はどうするかを指示に従って調べ、
 
後日、父が退院してきた時、
 
母と妹と一緒の時に話してみました。
 
 
退院してすぐにNHKの放送記念日があり、
 
父から「最後かもしれないから一緒に行ってくれ」
 
ということで付き添いました。
 
楽しみにしていたN響の演奏を聴き、
 
「ちょっと挨拶に行くよ」
 
と、アナウンス室に立ち寄り、
 
部屋をぐるりと回り、
 
お弟子さんと話をし、写真を撮って、
 
とても楽しそうに過ごしていました。
 
最後に桜井さんが車寄せまで一緒に付き添い
 
タクシーを呼んで最後まで手を振ってくれる姿を本当に喜んでいました。
 
 
今思えば、
 
父の死のプロセスはその辺りから始まっていたように思えます。
 
 
 
 
 
 
 
ヒマラヤの奥地にガリ・ゴンパという僧院があります。
 
日本からそこへ行き着くには数日を要するような秘境の地です。
 
4月にヒマラヤに行った時、
 
奇しくもその僧院を訪れました。
 
そこは、『チベット死者の書』という埋蔵経が見つかった場所です。
 
 
人の死の間際から49日までの死のプロセスのことが描かれているお経です。