神人とユタ 11
御嶽での御神事を終え、
ご実家に戻られても、
沢山の来客者の方に一人一人対応される先生。
ご迷惑にならないように、
私たちは、近所のショッピングモールに涼みにいきます。
夕刻からも御神事は続き、
ご実家のお庭に3本の大きな旗が立ちます。
この際にも、この地域の長老から今時の若者までが先生の指導の元、
御神事を進めていきます。
この旗のデザインは、
先生が神さまと打ち合わせしたものを、
画家の方に説明し、
デザインを起こし、造り上げた物だそうです。
無くなりかけていた伝統を、神さまとの協力体制で、
元の形に戻すという、本当に凄いお仕事を成されています。
一つ一つの作法や物の背景にある神聖を形骸化せずに、
掘り起こしていく。
大切な事です。
真の意味が忘れ去られ、
形骸化された物は、
次第に簡略化され、忘れられてしまいますが、
そこにある、真の意味が分かれば、
それを簡略化してしまうことはあり得ない事に、
誰でも気づく事が出来ます。
旗を前に先生や役職に就く方々が坐られ、
その後ろに坐らせていただきました。
そして、先生が神さまにご挨拶なさいます。
その中で、東京から行かせてもらった私たちの事まで、
ご紹介くださっています。
本当に恐縮です。
その後、神さまの言葉が先生に下りますが、
その圧倒的な迫力は、
その場を揺るがすほどの物で、
ユタやチャネリングなど、伝統に基づかない見えない世界と、
伝統やその地域の人々の生活を導く背景のある見えない世界とでは、
天と地ほどの差がある事は、
その場にいた誰にも明らかな事と思います。
だからこそ、地域の老若男女は絶対的に先生の言葉についていくのでしょう。