ヒマラヤ 宝珠を納める旅 18
のどかな村を進みます。
水車小屋の横にはおじいさんが坐っています。
ずっと、坐っているのでしょう。
挨拶するとニコニコと手を振ってくれます。
可愛い女の子はまるで絵から抜け出したように、
そこに佇んでいます。
本当にのどかな所です。
(女の子もおじいさんも、
数時間後に戻った時、やはりそこに佇んでいました。)
そんな村を抜け、
予定ではもうすぐ洞窟があるはず。
(だって、「すぐ。」って言っていたから。)
しかし、あるのはヤクの糞だけ。
(あまりに沢山のヤクの糞を見たものだから、
その日の夜、目を閉じるとヤクの糞が無数に現れたほどです。)
何しろ沢山のヤクが。
モサモサ歩いています。
こんな所にまで来たのですが、
まだ、見当たりません。
ビルさん、何回も確かめる電話をして下さいますが、
まだ先のようです。
元々、高地にある所から、
更に登るので、
酸素が少なく、
少し歩くと、息苦しくなり、
足が上がらず、手も痺れてきます。
「あぁ、無理。足が上がらない。」
と、思うと、
ネパールに到着してから様々な行法を教えて下さるあちらの方が、
「昨日、教えた呼吸法を使いなさい。」
と、アドバイスしてくれるので、
使ってみると、
なるほど、スッキリと快復します。
さらに、苦しくなると、
「教えたエネルギーの上げ方をしてごらん。」
というので、
試してみると、これもまた素晴らしくサクサクと歩けます。
今回、一番学んだ事は、
「瞑想、呼吸法等の 行法とは、
肉体的、精神的、エネルギー的な危機が訪れた時の為のものである。」
こと。
エネルギーのギアがシフトしていくごとく、
その場に合わせて変化出来るのです。